新規開設・移転時の通信インフラ構築の重要性
企業の新規オフィス開設や移転は、成長の節目となる重要なイベントです。しかし、その華やかなイベントの裏側で、通信インフラの構築は、最も複雑で失敗が許されない実務となります。通信インフラは、企業の事業活動を支える基盤中の基盤であり、その選定や導入に失敗すると、「電話が開通しない」「インターネットが遅すぎて業務が滞る」「セキュリティが脆弱になる」といった深刻な影響を事業に与えかねません。
特に、クラウドPBXやリモートワークが主流となった現代では、従来の「とりあえず電話と光回線を引く」という考え方では、最適なインフラを構築することはできません。セキュリティ、BCP（事業継続計画）、そして将来的な拡張性を見据えた、戦略的な計画が必要です。
本コラムでは、情報システム部門、総務部門、プロジェクト管理者様に向けて、新規開設・移転時における通信インフラ構築の全プロセスを、「計画」「選定」「導入」「運用」の4つのフェーズに分け、ステップバイステップで解説する実務的な導入ガイドを提供します。計画的な導入プロセスを踏むことで、失敗を避け、最適な通信インフラを実現するための羅針盤としてご活用ください。
通信インフラ選定の失敗が事業に与える深刻な影響
通信インフラの選定失敗がもたらす主なリスクは以下の通りです。
1.事業機会の損失: 回線開通の遅延や、通信速度の不足により、営業活動や顧客サポートが停止し、新規顧客の獲得や既存顧客との取引に支障をきたします。
2.コストの増大: 契約期間の縛りや、不必要なオプション契約、あるいは性能不足による早期のリプレイスなど、無駄なコストが発生します。
3.セキュリティリスク: 固定IPの未導入や、不十分なセキュリティ対策（UTMの選定ミスなど）により、情報漏洩リスクが増大します。
導入プロセスにおける「計画段階」の重要性
通信インフラ導入における失敗の多くは、準備不足や要件定義の甘さといった「計画段階」に起因します。ベンダーへの見積もり依頼を行う前に、自社の業務とシステムが求める要件を徹底的に洗い出し、文書化することが、後続のプロセスをスムーズに進めるための鍵となります。
本記事を読むことで得られるメリットと対象読者
| 項目 | 詳細 |
| 対象読者 | 新規オフィス開設・移転プロジェクト責任者、情報システム部門、総務部門。 |
| 得られるメリット | 1. 通信インフラ構築の全プロセスをフェーズごとに把握し、計画的に導入を進められます。 2. 必要な通信速度や固定IPアドレスの要否など、要件定義の具体的なチェックポイントを習得できます。 3. ベンダー比較やコスト交渉において、失敗しないための実務的なノウハウを得られます。 |
フェーズ1：要件定義と現状分析（設計の基礎）
インフラ導入プロジェクトの成否は、このフェーズ1にかかっています。現在の課題と将来の目標を踏まえ、必要なインフラの「設計図」を作成します。
ステップ1：必要な通信速度と帯域の明確化（利用人数・業務内容別）
単に「最大1Gbps」といったカタログ値で回線を選ぶのではなく、「業務遂行に必要な実効速度」を明確にします。
●利用人数:
移転後の従業員数と、同時にインターネットに接続するデバイス数（PC、スマホ、IoT機器）を把握します。
●業務内容:
・Web会議/クラウドPBX: リアルタイム通信には安定した上り・下りの帯域が必要です。Web会議を同時に行う人数を想定します。
・大容量データ転送: データセンターへのバックアップや大容量ファイルの共有がある場合は、上り回線（アップロード）の帯域に特に余裕が必要です。
●結論:
「最低〇〇Mbpsの速度が、最も混雑する時間帯に保証されている必要がある」という具体的な要件を文書化します。
ステップ2：電話システムとセキュリティ要件の決定（クラウドPBXかオンプレミスか）
電話システムとセキュリティは、回線選定に直結するため、最初に決定します。
●電話システム:
クラウドPBX（初期投資が安価、リモートワーク対応、TCO削減）か、従来のオンプレミスPBX（レガシーシステム連携など）かを選択します。クラウドPBXであれば、固定電話回線（アナログ/ISDN）は不要となり、光回線のみで済みます。
●セキュリティ要件:
UTM（統合脅威管理）の導入、VPNまたはZTNA（ゼロトラスト）によるリモートアクセス手法、固定IPアドレスの要否を決定します。特に、サーバー公開やIPアドレス制限が必要な場合は、固定IPアドレスが必須要件となります。
ステップ3：導入スケジュールとBCP（事業継続計画）の策定
●スケジュール:
「いつまでに回線が開通している必要があるか」というデッドラインを設定し、開通工事にかかるリードタイム（通常、数週間〜数ヶ月）を考慮して、ベンダーへの依頼時期を決定します。
●BCP:
メインの回線が途絶した場合に備え、バックアップ回線（冗長化）の要否を決定します。モバイルWi-Fi（5G/FWA）や、他のキャリアの光回線をバックアップとして採用するか検討します。
フェーズ2：回線選定と技術的検討（最適なソリューションの選択）
要件定義に基づき、具体的な回線サービスと技術を選択します。
固定回線の種類比較：光回線、専用線、広域イーサネットの選択基準
| サービス | 帯域保証 | 主な特徴 | 選択基準 |
| 光回線（法人向け） | ベストエフォート | コスト効率◎、IPoE対応。SLA付きオプションあり。 | 一般的なオフィス業務、リモートワークが主。 |
| 専用線 | ギャランティ（占有） | 速度・遅延が保証。閉域網でセキュリティ◎。 | 金融取引、大規模DC接続、最高の安定性が必要。 |
| 広域イーサネット | ギャランティ/高QoS | 複数拠点のネットワークをシンプルに統合。 | 多拠点展開、拠点間通信の安定化。 |
ミッションクリティカルな要件がなければ、コスト効率の高い「法人向け光回線」を選定するのが合理的です。
モバイル回線の活用：5G/モバイルWi-Fiの固定回線代替・バックアップ利用
モバイル回線は、固定回線の弱点を補完する重要な役割を担います。
●固定回線代替:
小規模オフィスや仮設オフィス、工場の現場など、工事が困難な場所では、5G/FWA（Fixed Wireless Access）を固定回線の代替として利用します。
●BCPバックアップ:
光回線が途絶した場合の緊急時対応として、メイン回線とは異なるインフラであるモバイルWi-Fiを導入し、回線の冗長性を確保します。
固定IPアドレスの要否判断とVPN/ZTNAの導入
セキュリティとリモートアクセス戦略に基づき、固定IPの要否を判断します。
●固定IPの要否: 自社サーバー公開、IPアドレス制限、VPN接続の安定化が必要な場合は、固定IPアドレスが必須です。
●リモートアクセス技術:
・VPN: 従来の技術。固定IPが必要。
・ZTNA（ゼロトラスト）: 従来のVPNに代わる次世代技術。端末の健全性を検証し、アプリケーション単位でアクセスを許可。
フェーズ3：ベンダー比較と実務的交渉のポイント
選定した技術要件を満たすベンダーを複数比較し、最適なサービスを選びます。
ベンダー比較の軸：コスト（TCO）、サービス（SLA）、サポート体制
●コスト（TCO）:
初期費用（工事費）と月額費用だけでなく、契約期間全体（3〜5年）の総保有コスト（TCO）で比較します。
●サービス（SLA）:
稼働率、遅延、故障時の復旧時間がSLAで具体的に保証されているかを確認します。特に、専用線や高安定光回線では最重要項目です。
●サポート体制:
24時間365日の法人専用サポート窓口があるか、日本語でのオンサイト保守が可能かを確認します。
見積もり取得時のチェックリストと「隠れた費用」の特定
ベンダーから見積もりを取得する際には、以下の「隠れた費用」を見逃さないよう注意します。
●初期費用の内訳:
「基本工事費」と「追加工事費（屋内配線など）」が明確に分かれているか。
●オプション料金:
固定IPアドレス、UTM機器のリース料、VPNライセンスが別途オプション料金となっていないか。
●契約期間後の料金:
契約期間終了後（例：3年後）に割引が終了し、月額料金が急激に上昇しないかを確認します。
●番号ポータビリティ費用:
既存の固定電話番号（0ABJ番号）を新しいIP電話サービスに引き継ぐ際の手数料が明確か。
契約前の最終確認：SLAの内容、解約違約金、開通までのリードタイム
契約直前には、以下の実務的なリスクを回避するための確認を行います。
●SLAの内容:
提案書に記載されたSLAの数値が、契約書本体にも明記されているか。
●解約違約金:
契約期間途中で解約した場合の違約金の計算方法と、自動更新の有無を確認します。
●開通までのリードタイム:
ベンダーが提示する最終的な開通予定日が、オフィス移転やサービス開始のスケジュールに間に合うか、ペナルティ（遅延損害金）に関する規定があるかを確認します。
フェーズ4：導入・運用フェーズにおける注意点
契約締結後も、スムーズな導入と安定的な運用のためには、実務担当者による細やかな注意が必要です。
工事立ち会いと日程調整：開通遅延を防ぐための実務
●事前準備:
工事担当者がスムーズに作業できるよう、光ファイバー引き込み口や機器設置場所（ルーター、UTMなど）の動線、電源の確保を事前に行います。
●日程調整:
移転前であれば、旧オフィス回線の解約日と新オフィス回線の開通日の間に業務が途切れないよう、余裕を持った日程を組みます。開通工事には管理者による立ち会いが必須です。
●試験接続:
工事完了後、すぐにベンダー担当者立ち会いの下、PCを接続して実効速度を測定し、要件定義を満たしているかを確認します。
運用後の通信速度と品質のチェック（SLAの確認）
●定点観測:
運用開始後も、最も混雑する業務時間帯に定期的に通信速度を測定し、当初の要件定義やSLAの保証値を下回っていないか監視します。
●トラブル対応:
通信が不安定になった場合、ベンダーに連絡する前に、社内ネットワーク（ルーター、LANケーブル）側に問題がないかを切り分け、ベンダーとの切り分け手順を明確にしておきます。
●SLAに基づく請求:
SLAで規定された稼働率を下回る障害が発生した場合、契約に基づき料金減額の請求を確実に行います。
セキュリティ機器（UTM）の適切な設定とネットワーク分離
●UTMの設定:
UTMを導入した場合、Webフィルタリング、不正侵入防御、アンチウイルスといったすべての機能が正しく動作しているかを確認し、セキュリティポリシーを最新の状態に維持します。
●ネットワーク分離:
ゲスト用Wi-Fiと社内LAN、サーバーを接続するネットワークなど、用途に応じてVLANなどでネットワークを論理的に分離し、万が一の際の被害拡大を防ぐ設定を行います。
まとめ：計画的なインフラ投資を
本コラムでは、新規オフィス開設・移転時における通信インフラ導入のプロセスを、要件定義、選定、導入、運用の4つのフェーズに分けて解説しました。
失敗しないための鍵は、「なんとなく」でサービスを選ぶのではなく、「自社の事業継続性、セキュリティ、将来の働き方」という3つの観点から、計画的かつ戦略的に要件を定義し、その要件をベンダーとの交渉軸とすることです。
通信インフラ導入成功のための最終チェックリスト
インフラ導入を成功させるための最終チェック項目は以下の通りです。
- 【要件】 必要な固定IPアドレスの数と実効速度が明確か。
- 【技術】 電話システムがクラウドPBXであり、回線は光回線（IPoE）が前提か。
- 【契約】 隠れた費用（オプション、契約期間後料金）がなく、SLAの内容が明確か。
- 【運用】 UTMとバックアップ回線が確保され、BCP体制が整っているか。
編集部のコメント（通信インフラは「未来のオフィス」の設計図）
情報システム担当者の皆様へ。オフィス移転時の通信インフラ構築は、企業の「未来のオフィス」の設計図を描くことに等しいです。ここで選定したインフラが、今後のDX推進とリモートワーク戦略の成否を左右します。
本記事の導入ガイドが、ベンダー主導ではなく、貴社主導で最適なインフラを選定し、開通遅延やコスト超過といった失敗を回避するための一助となることを願っています。
